山岡 尚子(やまおか ひさこ)さん

大阪府→有田川町

大阪府出身。とあるテレビ番組を見たことを機に日本の伝統工芸に関心を持ち、2020年4月、50歳を一つの区切りとして有田川町に移住。就職先の「体験交流工房わらし」は、紀州の手漉き和紙「保田紙」の製造やその紙を使った便箋、葉書、うちわなどの販売を行うほか、紙すき、うちわ作りなどの体験もできる工房。一番の新人として保田紙づくりの修行に励む。

節目は自分でつくる

以前から日本の伝統工芸に関心があったという山岡さん。体験交流工房わらしに来る前から、休みを利用してさまざまな伝統工芸の工房に体験や視察に行っていた。ずっと会社員として勤めてきた山岡さんは、定年より10年早い50歳を節目にしようと決めた。そんな節目の時期、インターネットでちょうどスタッフの募集をかけていた現在の工房と巡り合う。自身の年齢や家族との関わりも、移住先として現在の工房や町を選んだ理由の一つだ。

「私ももう50代だから、親も高齢になってきてるのであまり離れてしまうと何かあったときに心配で。すごく現実的な話ですけど、実家が大阪なのでそことの距離も大事な条件でしたね」。

「日本の棚田百選」にも選ばれた「あらぎ島」。夏は青く生い茂り、秋には黄金に色づいた稲が広がる。四季折々の風景を楽しむことができる。

山岡さん自身、職場も住む場所も変わってしまうという変化に不安はあった。だが考え過ぎると動けなくなる。なんとなくいけるかな……という見通しができたら、とりあえず動いてみる。あとは何かあったときに考える、というのが山岡さんのスタンスだ。

とはいえ収入面は気になるところ。個人で営む職人のところに弟子入りしようと考えたこともあったが、生計は別に立ててもらうしかないと言われハードルの高さを感じた。今回の工房での生活は、町の非常勤職員として給料が下支えされている。収入面での不安がないことも移住の決め手となった。

地元産の楮(こうぞ)を使って丁寧に作られた保田紙は、薄くて軽く、それでいてとても丈夫で色褪せにくい。

新しい自分を発見する日々

2020年4月に移住して働き始めた山岡さんは、工房で働く人たちのなかで一番の新入り。新しい技術を学びつづける日々は、新しい自分を発見する日々でもある。

たとえば、紙の繊維が付いたざるの洗い方一つをとっても、効率よく取り除くにはコツがある。ほかにも紙漉きの工程は数多く、また各工程において師匠が築き上げてきた方法があり細かな技術が必要とされる。そんな新しいことに挑戦し続けるなかで、これまで意識してこなかった自分の不器用さや新しい側面が浮かび上がってきた。

「やっぱり見ている以上に難しいですよね。こういうのって、簡単にできることって何もないなって思います。紙漉きじゃなくても、伝統技術って言われるものって、何をするにしてもそんな簡単にできることじゃないんだろうなあ、ってここに来て感じます」。

保田紙は、最近まで継承者がおらず体験交流工房わらしの紙漉き師一人がその伝統を支えていた。しかし、現在は山岡さんを含め3名が新しくここで修行をしている。伝統技術を習得することの難しさを身をもって知った山岡さんは、一人の人間を一人前に育てることがいかに大変かを想像する。一方で工房では「いてくれたら嬉しいよ」と言われることはあっても、「出ていったら困る」というプレッシャーを感じることはないという。紙漉きやうちわ作りなどの体験もできる体験交流工房わらし。山岡さん自身、一度体験に訪れたことがいまに繋がっている。伝統工芸というと少しハードルが高い印象があるが、まずは小さなチャレンジをしてみることが伝統を守ることにもなるのかもしれない。

紙漉きの様子。技術はもちろん、全身を使い見た目以上に体力が必要。

変化の先は成り行きに任せる

移住して半年。当面の目標は一人前に紙を漉けるようになることと、そのために目の前の課題を一つひとつクリアしていくことだという。山岡さんはいま、新しい生活を始めたという変化の大きさを日々かみしめている。

「自分の生き方を変えたことが、もうそれだけで自分のなかではすごく大きい。新しい自分の生き方を確認する日々というか、無駄じゃなかったなって思う日々というか。だから、まだ始まったばかりなのに、ある意味一つ大きな変化をクリアした気分になってるんですよね」。

移住、転職という二つの大きな変化。その先について、山岡さんは「成り行きに任せたい」という。「いままでわからなかった自分を発見する。そういうことの方が、自分の目的に沿っている気がします。これまでは真面目にというか、こうあるべきと思いながらやってきたので、これからは自分のことをもっと自由にしてあげようかなと思っています」。

実際にやってみて初めてわかることがある。インタビューのなかで山岡さんは何度もその言葉を繰り返した。紙漉きの大変さも、町の空気の気持ち良さも、すべて最初の一歩踏み出したからこそわかったことだ。その先にある新鮮な発見を通して、第二の人生というべき新しい一日一日がつくられていく。

 

体験交流工房わらし