しごと

【かつらぎ町】皮革職人の技術と道具と思いを引き継ぐ

皮革職人の技術と道具と思いを引き継ぐ

和歌山県の北東に位置するフルーツの町“かつらぎ町”。ここに、関東で皮革縫製に携わり、なんと50年の職人さんが数年前にUターンし、今、後継者を探している。いったいどんな人だろう。いざ、工場へ。

かつらぎ町所有の縫製工場
平成25年に機材とともにUターンし、現在はこちらの町所有の工場で活動されている。

工場に入るや否や…すごい!!

縫製工場内部

関東から持ち帰った約100台のミシンを始めとする道具がずらりと並ぶ。中にはなんと、かつらぎ町に帰ってきてから導入した新しいコンピューターミシンも。結構高額…。

赤松康次さん

「よう来てくれました、どうぞどうぞ」
ニヤリと笑顔で迎えてくれたのは赤松康次さん、82歳。…若い!それでも手や顔のしわには、職人としての歴史が刻まれている気が。
継業の本題を聞く前に、赤松さんの職人としてのストーリーが知りたい。継業支援プロジェクトに登録した“思い”とは?お話を伺ってみる。

-継業のお話をする前に、ぜひ赤松さんの経歴や皮革との出会いのお話を聞かせてください

「話長くなるで(笑)。今とは時代が違うから、俺は学生の時から金稼いでたんよ。自生してるユリとかみかんを軍隊さんに売ったり。中学の頃は、当時では珍しいバラをつくる名家がおって、そこで手伝いもやってちょっと稼いで。ほんまはそこで飲ませてくれる牛乳が目当てやったけど(笑)。高校では花のブローカーもやってた。空き地で花育てて、切り花にして。結構売れたんよ!商売はそんな風に自然とやってたな。」

-くしゃくしゃの笑顔で語る赤松さん。いったいそこからどう皮革に繋がる?

一輪の花と一言が与えた影響

花

-皮革をやる前、学生の頃から主に“花”で稼いでおられたということですか。ここにも飾ってある。当時からお好きだったんですか?

「まったく(笑)。たまたま “出会い”があってね。最初の花との出会いは、今の自分ができるきっかけにもなったかな」

-意味深ですね。どういう出会いだったんですか?教えてください!

「ある時、中学に農大卒の先生が来て。生徒に一輪ずつバラを配るわけ。配るだけ配って何にも言わへん。変な先生来たで~思ったわ(笑)。俺はすぐ捨てたかな。数日後、その先生が【赤松、お前、バラをもらってどう感じた?】と言うきて。俺はめんどくさかったから適当に、おう、美しかったよと答えたら、【それだけか?】って。他にどう答えろと?って聞いたら、、
【一生かかってその意味を考えなさい】って言われた。その意味は教えてくれなかった。」

-それで終わりだったんですか?

「そう。それっきり。不思議なもので、たったそれだけの言葉が82歳になった今でも胸に突き刺さってる。70年近く考えさせられてる。あれはどういう意味やったんやろう…って。そこから、花への興味になり、モノゴトへの関心になり。何かあるんじゃないか?って考えるようになったな。結果的にそれが皮革に繋がってると思ってる。若い人はモノゴトそんな風に考えたりしないやろ?」

-(…深い。)その先生の言葉が、赤松さんの探究心のルーツなんですね。

「全ては“人との出会い”と“時代”」

赤松康次さん

-まさか花の話からスタートするとは思いませんでした。笑
それでは、そろそろ皮革との出会いの話を…。笑

「ちょっと脱線したな(笑)。高卒で、かつらぎ町の母が勤めてた織物屋の社長の縁で、東京の帝国ホテルに勤めることになった。いわゆる書生、お偉いさんの身の回りのお世話もしたりな。そこでまた縁ができて、PX(米国軍隊内の売店)でビーズをあしらったカバンの営業になって。そこでまた縁ができて、大阪で縫製をする会社にお世話になるようになった。それが最初やな」

「当時ビーズのカバン買えるのは、まあ特別な人よ。もっと普通の人に買ってほしかってね。そこで、考えて目をつけたのが合成皮革。当時扱ってるところがあまりなかったんで、仲間とその加工に乗り出したんやけど、それが当たって大手の受注を一気に引き受けることになってね。業界内ではちょっとした有名人になったな(笑)」

-縁が縁を呼んで繋いでくれた「皮革職人」としてのスタートだったんですね。

「俺がこの仕事できてるんは、自分で選んだんじゃなくて、全て“人との出会い”と、“時代”。その二つが仕事を与えてくれた。感謝してるよね」

東京への進出。奥さんの存在。

「その会社でいろいろ経験積んで、人望もできて。7人ほど俺の独立についてきてくれた。東京へ裸一貫で進出したんよ。その時も、深い縁のあった人たちが3人も俺に100万ずつ投資してくれてね。赤の他人によ?当時の人たちは人の縁を大事にしてた。ほんまにお世話になった」

-人のとの繋がりが今とは違う時代ですよね。
独立したのはおいくつの時ですか?すぐ軌道に乗りましたか?

「26歳やな。当時の皮革は東京より大阪が1~2割安い時代で、大阪から出てきたってだけでバカにされて相手にされなくて。3年は苦労したな。その時助けてくれたのが女房(笑)

-急に顔が緩む赤松さん(1人で取材したため写真が撮れなかったのが本当に残念!)

「大阪から俺が東京出る時に、[あんた、飯炊いてくれる人おるの?おらんのやったら私が行くわ]って言われて、来てくれたからそのまま結婚して(笑)。」

-そんな結婚の仕方ありますか(笑)

「そんな時代やったんやわ(笑)。その女房が、事業が苦戦してたのを見かねてたまたま染め物を嗜んでたんで、天然の草木染めを皮にやってみたらと言うんで、サンプルつくってみたら、カバン屋や草履屋が飛びついてきた」

そこから一気に軌道に乗ったと赤松さん。数年後には千葉に自社工場を建設。従業員も増やし、次第に業界の信頼を得ていったという。

赤松康次さん

5日間睡眠なし!死にものぐるいで働いた当時

革とミシン

「さっきも話したけど、いろんな人との出会いがあるから就けてる仕事。そんな世話になった人達に恩返しせなあかんから、独立してから死にものぐるいで働いたわ。無理な注文も、5日間睡眠無しで対応したりな。それから数十年間あっという間やった。傍ら、社会貢献も兼ねて、兼業で、花を学校や病院に届けるような事業もやったりしたな」

-やっぱり皮革とともに、花は赤松さんにとって大事なものなんですね。

「そうやなあ。花の方でもいろんな繋がりできたけど、話が長くなるから止めとくわ(笑)」

革のパーツ

-当時の事業の流れはどのようなものでしたか?

「うちで当時扱ってたのは、いわゆる数物。最低でも300本くらい受注を受けて、均一に加工して納品するんやけどね。皮革を仕入れて、型紙をつかって皮包丁で裁断する。小さいサイズはプレスで抜き型を抜く。それから縫製、厚いままだと縫えないので、[へりすき]言って、縫いやすいように薄く削るわけ。そして返しを[のりづけ]。パーツをつくって組み立てて、縫製して繋げてカバンや財布にする。それを分担でやっていく」

-数物。結構規模も大きい取引先が多かったんですね。

「ほとんどは大手メーカーやったね。軌道に乗ってからは、自分から営業行ったことなかった。受注するだけで精一杯の状況で。8割くらいがブランド物で納期が厳しかった。大手は納期遅れの賠償があるからこわいよ(笑)。個人のお客さんは少数やったかな」

故郷のために。若者のために。

-平成25年にかつらぎ町にUターンしたんてすよね。どのような心境からでしょう。

「やっぱり、故郷の活性化に貢献したかったんやな。ずっと関東でやってきて、町に呼ばれて何度か講演にも来たことあったけど、全国的にも皮革の産地である和歌山で、どうにか自分の技術やノウハウを故郷に活かしたいっていう思いがあったな」

-あの、失礼かもしれませんが、82歳でその意欲というか、気持ちはどこから来るんでしょう?赤松さんとお話しているとご自身も現役でという思いを感じるんですが。

「これからは、なんぼ老いぼれでも、実証よ。さんざん過去の話したけど、話だけでは伝わらない。やって見せないと。でもつくる力はもうなくなってきてる。糸を通すのもやっとよ。でも実証すること。命は待ってくれないからね。俺もあと1、2年が勝負!継ぎ手も見つけないと」

赤松康次さん

-赤松さんの皮革事業に興味があるIターンUターンの方々にお伝えしたいことはありますか

「本気でやりたいとか、興味があったら、俺は全面的に、無条件で譲る!技術、ノウハウ、機材一式。丁稚奉公なんてかっこいいこと言うてられへん!時代でもないし。限られた時間の中で伝わるように。誰もおらんかったら処分するだけになってしまう。未経験でも本気ならOK!まあ、できればグループが理想。一人やったら物目当てがこわいからな。一人でも本気ならいいとは思ってるけど、最終的には何をやりたいか、そこかな。東京には仲間がいるから、若い人の感性で良い商品さえあれば、売り先もある。若い人の力になれたら」

屋号に込められた“思い”

ワンスモアのハンコ

-最後に、かつらぎ町にUターンしてからの屋号「ONCE MORE -ワンスモア-」の由来を教えてください

「ワンスモア“もう一度”」
「それだけよ。それはたくさん売りたいとか量的なことでなくてね。さすが50年やってるだけの人物だと言われるような。そういう風に最後は地元で輝きたい。あと1、2年。若い継ぎ手が現れるまでは現役でやるで!そして、これから和歌山に来られる新しいアイデアだったり視点を持った若い人たちとね、良いモノをつくってね。もう一度この事業を輝かせたい

事業所名 ワンスモア
事業内容:皮革製品製造、販売
所在地:かつらぎ町丁ノ町
対象者:移住者継業支援プロジェクトに登録済みの移住(希望)者、皮革製品の製造に携わりたいやる気ある者(複数人が望ましいが単独でも可)
引継条件:応相談
引継内容:機材一式、技術、販路等
住居提案:
問合せ:和歌山県移住定住推進課 小倉 073-441-2930