藤内ウォルシュ三可(とうないウォルシュみか)さん・アダムさん

オーストラリア→日高川町

―23年間のオーストラリアでの生活を経て、藤内ウォルシュ三可さん・アダムさん一家は和歌山県中部の日高川町で新たな暮らしを始めた。自然に囲まれた古民家で、DIYを楽しみながら暮らす日々。地域の人たちとの温かな交流も生まれ、家族の新しい物語が始まっている。―

23年の海外生活でも消えなかった「日本への思い」

「いつかは日本に帰ってきたいなと思っていました」そう話す三可さんは、もともとは和歌山市の出身。京都で幼稚園の英語教諭として勤務した後、27歳で単身、オーストラリアへ渡った。

メルボルンにある大学に通い、現地の教職免許を取得する中で、夫のアダムさんと出会い、結婚。4年ほどで日本へ帰るつもりだったが、仕事が決まったこともあり、気がつけば23年間をオーストラリアで過ごすことに。

ただ、長い海外生活の中でも、日本とのつながりが途絶えたことはなかった。三可さんの実家は和歌山市にあり、また祖父母は日高川町から車で1時間程のすさみ町に暮らしていた。長期休暇を利用して、毎年のように和歌山を訪れた。三可さんはそのたびホッとする感覚を覚え、「いつか日本へ帰りたい」という思いが次第に強くなったという。

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オーストラリア人の夫が魅了された「日本」

一緒に日本を訪れるうちに、夫のアダムさんも日本への思いを強くしていった。

三可さんに出会うまで、一度も日本を訪れたことのなかったアダムさん。付き合い始めてから二人で日本を訪れるうち、次第に日本に魅了されていった。料理のおいしさや美しい景色はもちろん、弘法大師空海をはじめとする日本の歴史にも関心を抱くようになり、高野山には何度も足を運んだ。

アダムさんは日本のライフスタイルにも心を動かされた。街にごみを捨てないことや互いに譲り合う気持ち。日本では当たり前とされるマナーや配慮は、多文化な環境で暮らしてきたアダムさんにとって心地よく感じられたという。

こうして、三可さんにとって「いつか戻りたい場所」だった日本は、アダムさんにとっても「いつか住みたい場所」へと変わっていった。

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「和歌山なら、ここ」――日高川町との出会い

「移住したいという思いは強くても、すぐに実現できたわけではありません」と三可さんが話す。仕事、住まい、こどもの学校のことなど、子育て世代の家庭にとって、移住を決断するにはさまざまなハードルがある。海外からの移住となるとなおさらだ。

三可さんは、こどもが中学校へ進学する2026年を一つの節目と考えていた。そして、その時期に家族そろって日本で暮らし始められるよう、2022年に移住を決断。そこから、住まい探しなど、必要な準備を進めていった。

三可さんは馴染みある和歌山で移住先を探し始める。オーストラリアで暮らしていた時のような広さを求めると、市街地では難しい。夫のアダムさんも同じ思いだった。「アダムはDIYが好きで、家を自分たちで作っていくことに憧れがありました。だから手を入れながら暮らせる、十分なスペースのある田舎で暮らしたいと考えていました」

約2年間、和歌山県内で移住先を探し続けた三可さんは、ついに日高川町で理想の一軒家を見つける。空き家バンクに登録されていたその家を目にした瞬間、「ここしかない」と直感したそうだ。当時、オーストラリアにいたアダムさんに、「ここに決めるけどいい?ネット環境も整っているよ」と連絡するとアダムさんも快諾し、即決したという。

日高川町は、紀伊山地の豊かな山々に囲まれ、町の中央を日高川が流れる自然豊かな町。見つけた一軒家から車で少し行けば日々の暮らしやDIYに必要な買い物もできる。理想の古民家に巡り合ったことで、移住がいよいよ現実化してきた。

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「場所に縛られない仕事」をつくる

住まい探しと同時に進めていたのが移住先での仕事の準備だ。

オーストラリアでセキュリティー会社に勤めていたアダムさん。日本への移住を考えるようになってからは、住む場所に左右されずに働ける環境をつくるため、独立に向けた準備を始めていた。

約3年をかけて事業を形にし、現在はAIコンサルタントとして、イギリスやフィリピン、オーストラリアなど海外の企業を相手に活躍中。インターネット環境があれば、どこでも仕事ができるため、日高川町に暮らしながら、これまでの経験を生かし、世界を相手に働くことができている。

三可さんもまた、教員経験を活かし、地域ですぐに仕事を得ることができた。きっかけは、こどもの通学手続きのため地元の小学校を訪れた時のこと。ご縁が重なり、思いがけずトントン拍子で仕事が見つかった。現在は学習補助を担う先生として働いている。

「古民家再生」という夢

2026年、いよいよ三可さん・アダムさん一家の日高川町での暮らしが始まった。この移住には、アダムさんが長年思い描いてきた、もう一つの夢があった。それは自分たちの手で古民家を再生することだった。

もともとDIYが大好きだったアダムさん。オーストラリアで暮らしていた頃も、棚やテーブル、デッキ、バーベキューエリアなどを自分でつくっていた。新築時から価値が下がりやすい日本住宅事情と違い、オーストラリアでは手をかければかけるほど家の価値は上がっていくという文化がある。日本への移住を考えるようになってからは、日本の古民家を再生する人たちのYouTube動画を熱心に見ながら、理想の暮らしへと夢を膨らませていたという。

移住後、アダムさんは早速DIYを始めた。まず取り組んだのは、傷んでいた床の張り替え。さらに、昔ながらのバランス釜だったお風呂やトイレにも手を入れ、少しずつ暮らしやすい家へと変えている。

すべてを一度に新しくするのではなく、実際に暮らしながら「ここを直したい」「次はここを変えよう」と自分たちで考え、自分たちのペースで手を入れていく。それも、古民家で暮らす楽しみの一つだという。

そんな古民家再生の様子は、「Izakaya Dreaming」というアダムさんのYouTubeチャンネルでも発信されている。リフォーム前の姿から、床や水回りが少しずつ変わっていく過程や、生き生きと障子の張替えを行うアダムさんの姿を見ることができる。かつて画面の向こうで古民家を再生する人たちを見ていたアダムさんが、今やその過程を発信する側にいる。

テーブルづくりはプロの腕前

「人の温かさ」に囲まれて――日高川町での暮らし

「古民家再生」と聞くと大がかりな改修を連想しがちだが、空き家バンクで見つけた住まいは、そのまま暮らせるほど状態が良く、風通しも良好だった。前の持ち主が大切に手入れしながら住んでいたことが一目でわかる家だったという。

さらに、前の持ち主の細やかな気遣いも有難かった。事前に必要なものをビデオ電話で確認し、残していく家具や家電に一つひとつ付箋を貼って用意してくれただけでなく、ファンヒーターには灯油が満タンに補充され、新しい雑巾やバケツセットまで揃えられていたほど。前の住人の丁寧な暮らし方と優しさをそのまま手渡されたような気分だった。

「日高川町での暮らしには、すぐに馴染めました」と三可さん。近所の人からは、畑で採れたピーマン、きゅうりや玉ねぎなど、たくさんの新鮮な野菜を日常的にいただくそうだ。家の前に突然近所の人が現れて、「トウモロコシいるかー!」と声をかけられることも。

家の外でDIYをするアダムさんも、自然と近所の方と交流が生まれているようだと三可さんが話してくれた。
「近所にバナナの木を育てている方がいて、昼間にアダムが外にいるのを見かけたのか、いつの間にか仲良くなったみたいです。先日も、『バナナの木いるか?』と声をかけられ、家の前にバナナの木が届いていました」

移住直後に中学生となった息子さんも地域にすっかり馴染んでいる。地元の学校に通い、地域のこどもたちと一緒に川へ出かけたり、犬の散歩をしたり、地域の清掃や草刈りにも参加して、日高川町での日々を楽しんでいる。

ご近所さんにもらったバナナの木

これからの夢――地域に「返していく」暮らし

三可さんにこれからの夢を聞いてみると、「アダムがつくる予定の大きなピザ窯で、大きなピザを焼いて、家族や地元の人たちと一緒に食べたいです。ピザにのせる食材には、家の裏にある農地で育てた野菜を使いたい」と語ってくれた。

これまで地域の人たちの温かさに支えられてきた二人。だからこそ、これからは自分たちも地域に何かを返していきたいという。

「本当にもらってばかりなので、どうやって返そうかなと考えています」3年ほどかけて家を完成させ、裏庭で野菜を育て、ピザ窯をつくり、ピザを焼いて、地域の人たちを家に招く。そんな暮らしを三可さん・アダムさんは思い描いている。

「ここにピザ窯をつくります」とアダムさん

これから移住を検討している方へ

最後に、これから移住を検討している方へのアドバイスを伺った。
「田舎で暮らすなら、地域とのつながりは大切だと思います。私たちも、引っ越してきてまず挨拶に回って、会合や清掃、草刈りにも参加しました。待っているだけじゃなくて、自分から地域の輪に入っていく。お祭りも、見る側ではなくて、できればやる側に回る。そうやって地域の人たちと一緒に楽しむことが、ここでの暮らしを楽しむことにつながっていると思います」
<ご紹介>
アダムさんのYouTubeチャンネル「Izakaya Dreaming」
https://www.youtube.com/@Izakayadreaming
取材日:2026年7月22日