尾方 千春(おがた ちはる)さん

愛知県→紀の川市

愛知県出身。短期大学で栄養士の勉強をした後、実務経験を積み管理栄養士の資格を取得。その後イギリスへと渡り、日本との行き来を繰り返しながら計5年間ほど滞在。自身の経験を活かせる職場を探して各地を回り、地域おこし協力隊として紀の川市へ。2年目のときに、現在働いている山﨑邸を拠点に「ゆめ・やりたいこと実現センター」がスタートし、連携協議会の委員として携わることに。任期終了後は職員として障害のある人たちが学んだり、交流できる場づくりなどを行っている。

築100年を超える「山﨑邸」で、温かな交流の場

「もしお時間がありましたら、水曜日がおすすめです。水曜日の夕方は『夕刻のたまり場』といって、障害のある人が仕事終わりにふらっと安心して立ち寄れる居場所を作っています」。

尾方さんからのそんな提案を受けて、言われた通り水曜日の夕方、取材先へ。大正時代に建てられ、築100年以上が経つ「山﨑邸」。建物の至るところに日本建築の美しい装飾が施されている立派な古民家だ。持ち主が遠方に住まわれ、意味のある地域活動に利用してもらえるならという意向から、2013年より社会福祉法人一麦会(麦の郷)が活用することとなった。当初から、ひきこもりサポート事業所「ハートフルハウス創-HAJIME-」として相談対応や居場所づくりを行うほか、ひきこもり経験者と共にカフェを営業するなど、人々がつながる場として地域に根付いてきた。さらに、2018年からは「ゆめ・やりたいこと実現センター」の活動が始まったことで、障害のある人の生涯学習の拠点として活動が広がっている。

2020年7月に国登録有形文化財(建造物)に登録され、建物だけでも一見の価値ありと感じさせる山﨑邸。すでに数名が集まり、談笑したりスマートフォンを見たりと、思い思いの時間を過ごしていた。

「夕刻のたまり場」は、障害のある人たちが仕事終わりに気軽に安心して立ち寄って交流できるようにと始められたみんなの大切な居場所だ。ミニシアターで映画鑑賞会をしたり、一緒にご飯を食べたり、悩みを共有したり、持ち込み企画を催したり。もちろん一人で過ごしてもいい。初めましての緊張気味な取材者のほかは、みな慣れた様子でそこに居た。とてもアットホームで心が温かくなるような空間だ。

大広間は地域の人向けに予約制で貸し出しを行っており、イベントなど非営利の交流を目的とした催し物に活用される。

自分の経験や能力を活かせる場所へ

尾方さんは管理栄養士の資格を取得した後、前々から興味があった語学留学のためイギリスへ。一度は帰国するも、ボランティアやワーキングホリデーのビザを取得してイギリスへと渡った。そのときの経験が現在の仕事にも繋がっている。

「ロンドンに住んでいたときにボランティアをしていたんですけど、身体障害者の人の傾聴をしたり、車椅子の人の出かける範囲が限られているのでそのサポートなどをしていたんです。でもその人が亡くなったんですよね。

ロンドンに行ってから私、友だちが全然できなくて。仕事以外で話すこともなくて、死にたいくらいになってしまってたんです。そのときに出会ったのが車椅子の女性だったんですけど、その人がいつも家の鍵を開けていて、障害者の人も来てたし、シングルマザーの人も、私みたいな日本人も来ていたし、いろんな人が来ていたんです。日本に帰ってきてからも、こういう場所がつくれたらなと思って」。

いろんな人が集まれる場所を作りたい。管理栄養士や語学という経験とスキルを活かしつつ、自分が好きなことをしながら生きていきたい。そんな思いから、募集要項を見て興味を持った紀の川市の地域おこし協力隊に応募した。

山﨑邸の1階。ひきこもりサポート事業所「ハートフルハウス創-HAJIME-」が相談・居場所・カフェ営業をメンバーと一緒に行っている。

「山﨑邸に来たら仲間がいる」

紀の川市は、県内随一のフルーツ王国。協力隊としての活動中は、紀の川フルーツ・ツーリズム主催の果物をテーマにした体験博「ぷる博」のサポートや企画の考案、また、海外の食文化に触れる料理教室「ワールドキッチン」や外国語講座といった異文化交流の取り組みなど、尾方さんが得意とする食や語学力を活かした活動を行ってきた。

山﨑邸での障害者の生涯学習事業が始まったのは協力隊2年目のこと。交流の場をつくりたいという思いと重なり、地域の方々との話し合いに参加して障害のある人の夢や気持ち、「こんなことをしてみたい」という思いを形にしようとサポートをしてきた。「夕刻のたまり場」の常連であり、連携協議会委員の松下隆志さんは、山﨑邸に来るようになってからのことを次のように話す。

「最初来るときは、緊張はせんかったけど、来て何しようかな、何の話しようかなというのはありました。家に帰っても自分が一人っ子やから、二階でテレビ見てるとか携帯いじってたりするくらいで。ここに来たら仲間がいて、いろんなことの共有ができるからいいかな」。

松下さん(左)と尾方さん(右)

松下さんは、障害者の就労支援事業所「ソーシャルファームもぎたて」が運営するオープンカフェ「風車」で働き、その仕事帰りに山﨑邸に行く。旅行が好きで、山﨑邸のみんなの前で講師の先生とバリ島の話をしたことが「自分の経験を話す初めての経験で嬉しかった」という。

「障害のある人にとって、支援学校を卒業してから学ぶという機会が少ないんです」と尾方さん。活動を通じて、社会的に弱い立場にある方々など、人と関わる機会の少ない人が集まり、共に学んでいけるような場が必要とされているのではないかと感じている。

人と人を繋ぐ仕事で、声をあげられない人のサポートを

紀の川市から関空までは車で一時間弱。海外にも行きやすい距離であることや、協力隊の募集時期のタイミングが良かったこと、尾方さんご自身のスキルや経験を活かせることが紀の川市への移住を決めた主な理由だ。

田舎暮らしの必需品になるのが自動車。尾方さんも協力隊時代は自動車を利用していたが、現在は車をシェアして、必要な時に使わせてもらっているという。

「自宅や職場が駅からすぐ近くなので、歩いたり、あと自転車で出勤することもあります。ウォーキングするにはめっちゃいい環境なんです。暮らしていて良いことは、ご近所さんからよく果物とか野菜をもらいますね。

ほかには、私の家の隣におばあちゃんが住んでいるんですけど、最近けがをされたんです。それで、ゴミ出しとかができないといって困っていたので手伝ったりして。若い人が来ることで喜んでもらえるのが嬉しいですし、そういう小さな助け合いって必要だなって実感しました」。

尾方さんは、紀の川市での暮らしや人との関りを通じて、ご自身の新たな側面を発見したという。

「紀の川市でいろんな活動をしてきて、人を繋げるとか繋がるのが好きなんだなとか得意なんだなというのに協力隊の仕事を通して気がついたんですよ。別にそういう意識はなかったんですけど、みんながそうだよねって言ってくれたから気づけたというか。だから人を繋げる仕事で、やっぱり弱者とか声をあげられない人のサポートをしていけたら良いなと思っています」。

栄養士の資格や語学力というわかりやすいスキルだけではなく、イギリスでの経験がしっかりと今に繋がり、山﨑邸に集まる方々の居場所をつくっている。どんな人にも、その人のなかに、その人にしかない何か活かせるものがある。尾方さんの活動や、山﨑邸に集まる方々からはそんなメッセージも伝わってくる。

地域によって多様な募集がある地域おこし協力隊は、自分に合う活動内容を探し、経験や能力を試してみる入口として選びやすい選択肢の一つ。移住先や仕事に迷ったら、まずは協力隊として一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。