宮田 孝二(みやた こうじ)さん

大阪府→有田川町

宮田家ご主人の孝二さんは鹿児島県出身。奥さんの和子さんは福岡県出身。ご夫婦ともに大阪府で教員として働き、在職中に有田川町との二拠点生活を開始。定年退職を迎えてから本格的に移住し、和子さんは蝶の来るお庭「バタフライガーデン」のお手入れを、孝二さんはみかん農家さんのお手伝いをしつつ区の老人会の会長を任されるなど幅広く活動している。

移住前にどれだけ地域の人と繋がることができるか

色とりどりのお花や野菜などが植えられた綺麗なお庭。宮田さんご夫妻が「バタフライガーデン」と呼ぶそのお庭は、蝶が好きな孝二さんのリクエストで奥さんの和子さんが手入れしている。季節になると、海を越える蝶として知られるアサギマダラもやってくるのだとか。

宮田さんご夫婦が移住を考えるようになったきっかけは、平成7年に起きた阪神淡路大震災。当時、高層マンションが立ち並ぶ大阪の住宅街に住んでいた宮田さんたちは、「残りの人生を鉄筋コンクリートのマンションで暮らすのは辛い」と、日本全国の移住候補先を探し始めた。

「退職してから行くのでは地域に馴染めないと思って、少し前から退職後の生活の拠点を探していました。どれだけ地域の人と繋がれるかが移住の絶対条件。僕ら田舎育ちやからわかるんですよ」。

“家の近くにスーパーがあること”、“郵便局が歩いていける距離にあること”、“家が密集していなくて、自然が豊かであること”など、いくつかの条件はあったがそれに合う場所であればどこでも良かったと話す。そんなとき、新聞広告に掲載されていた有田川町の古民家がたまたま目に留まった。条件に合う立地。下見に訪れ、ここで暮らすことに決めた。

週末だけ通う二拠点生活をしていたころは、突然やってきた謎のお二人に近隣住民の方々も少し警戒しているご様子だったという。ご自身も地方のご出身で、田舎事情はよく理解できるという宮田さんたちは、地域の掃除などの行事には積極的に参加し、区費を支払ったりするなど、できるだけ早く信頼してもらえるように努めた。

奥さんが丁寧に手入れするお庭「バタフライガーデン」

みかん収穫のお手伝いから始まった、フリーランス農家!?

退職後、晴れて有田川町に移り住んだ宮田さんご夫婦。まずは地域のことを知り、地域の方々ともっと仲良くなろうと散歩を始めた。そんなあるとき、私道に寝転がって休憩しているみかん農家さんと出会った。

「大変ですね」と孝二さんが声をかけたところ、「手伝ってくれるか?」と農家さん。そこから孝二さんの“フリーランス農家”としての生活が始まった。

「ボランティアのつもりだったんですけど、みかん農家さんもそういうわけにはいかないと言うもんですから収穫したみかんをいただいたりして。そこからいろんな農家さんと繋がって手伝うようになりました。農業にはいそがしい時期とそうでない時とがあるので、退職して時間がある人、来てほしいときに来てくれる人ということで需要はあるみたいです。『農家さんのフリーランス』ということで仕事をしています(笑)」。

定年を迎えたとはいえ、体力もありまだまだ若い孝二さん。いろんな作物を育てる農家さんからお声がかかり、5月から翌年3月まで山椒や梅、ミカンといったその季節の作物の収穫などをお手伝いしている。

話しながら慣れた手つきで手際よくみかんを剥いてくれる孝二さん

老人会会長を引き受けて起きた思わぬ変化

孝二さんが任されているのは農家の仕事だけではない。

有田川町吉田区の老人会に参加している孝二さん。移住した当初は、一定期間ごとに会長の当番が回る制度になっていたそうだが、老人会のメンバーは当番をしぶしぶ引き受けているという状態だった。

そこで、孝二さんは会長の役を交代なしでずっと担うことを申し出る。老人会という地域コミュニティでみんなが楽しく過ごせるようにと、様々な規約も変更した。それに伴う話し合いや、新しい制度をつくるにあたっては教員時代の経験も活きた。

この孝二さんの行動は、老人会のみなさんに感謝されるだけでなく和子さんにも良い影響を及ぼした。丁寧にお庭を手入れする和子さんだが、実は少し前から目を患っている。移住してきたものの、一人ではなかなか外を出歩けない状態だった和子さん。それが、「会長さんの奥さん」ということで近所の方々に覚えられるようになり、声をかけたり収穫したものや手料理などを渡してもらえたりするようになったのだ。

もらえるのは嬉しいけれど「誰からもらったかは、わからない(笑)」と和子さん。おしゃべり好きでとても笑顔の素敵な方なのだが、写真は恥ずかしいとのことなので嬉しそうに話す様子をどうか想像してみてほしい。

そんな和子さんを取り巻く状況の変化が「会長をして何より良かったこと」と孝二さん。誰もしたがらなかった役を引き受けた孝二さんの思いにより、予想をこえた地域との繋がりが生まれたのだった。

定年退職後でもつくれる、“シゴト”を通した繋がり

取材を始めようとすると、ご主人が昨日のうちに買っておいてくれたという美味しいパンを差し出してくれた。3人で一緒にいただく和やかな雰囲気のもと、ついつい昼頃まで長居をしてしまうと、カレーライスまでごちそうに。帰りにはお手製の佃煮や柑橘の果物まで。

宮田さんたちの人柄なのだろうが、温かみのあるおもてなしは、まさに「地方での暮らし」を感じさせた。田舎特有の文化である、ものを贈り合う文化。人の手から、人の手へとめぐっていくそんな循環のなかに入ると、都会とはまたちがった生活の手ごたえがある。

最後に、「移住のコツ」について尋ねてみた。

「選んだ理由は、大阪からもすぐに来られるという地理的な条件と、自然が豊かということもありました。山、川、海、温泉、すべてがそろっている。食材が美味しい。何より一番いいのはね、人が優しい。みんないい人なんです。人が人を救えるし、人と繋がって生きていかないとそれは本当の生活じゃないということですね。周りの風景がいい、気候がいいというだけでは……。人との繋がりを大事に持てる人じゃないと難しいと思いますね。僕らは年金生活だから、仕事を通して人と繋がるのは難しい。でも“シゴト”はあるんですよ。みかん採りができる(笑)」。

地方の高齢化率の高さも相まって、宮田さんたちを見ていると70歳はまだまだ若いと実感させられる。地域の人からも頼りにされる。定年退職後の移住は年齢による不安を抱く方もいるかもしれないが、宮田さんご夫婦が暮らす地域のように、地方都市と過疎地域の中間あたりの環境のまちが県内にはいくつもある。まずは気軽に下見から。素晴らしい第二の人生が始まるかもしれない。