石渡 康太(いしわた こうた)さん

東京都→和歌山市

東京で生まれ育ち、東京の会社に勤めながらインドネシア・バリ島の空気と空に憧れ続けた期間を経て、まるで選択肢になかったという和歌山県に移住した石渡康太さん。現在は大阪の会社にリモートで勤務しながら、週末は仲間とリノベーションした直売所兼イベントスペースの「おいけのまど」を運営する。移住への憧れや転職せずに移住を成し遂げたという経緯、そして今後の地域への関わり方を聞いた。

転職せずに移住するという選択肢の中で、和歌山が浮上した

東京で生まれ育ち、東京の企業に勤めていた石渡さん。旅行好きで、国内はもちろん海外にもよく足を伸ばしていた。とくに学生時代からインドネシアのバリが好きで、毎年通っていたという。漠然と海外に移住したいという気持ちがあり海外就職の道を探した時期もあったが、夫婦で海外移住となるとハードルが高く諦めかけていた。しかし、気持ちはそう簡単に抑えられるものではなかった。   

​​東京出るという頭になってたので、東京の生活が、結構辛くなってきたんです。電車もいつも混んでるし、やっぱり海外とか地方と比べるとなんか人の壁も感じました。それで『もう出たいな』って思いがずっとあって。それこそまたバリとか海外行ったりとか、国内でも東北旅行したり九州旅行したりしてると、やっぱり人も温かい感じがしたんです。空もすごい高いなって思ったりとか。そういう憧れがどんどんと募ってきて、じゃあもう国内でどこか移住を考えようかとなりました。」

国内移住という選択肢を前に石渡さんが向かったのは、東京の47都道府県の移住相談窓口が集まる「ふるさと回帰支援センター」だった。しかしその時には、和歌山という選択肢は一切頭になかったという。当時の石渡さんにとって和歌山はみかんや梅干しのイメージが浮かぶ程度でしかなく、むしろ瀬戸内の雰囲気に惹かれ、広島や中国地方を検討していた。そんな石渡さんの前に和歌山が急速に浮上したのは、移住後の働き方という重大テーマを通じてのことだった。

石渡さんは仕事柄出張が多く、特に取引先が多かった関係から少なくとも2週間に一度は関西に訪れていた。そこからふと、関西であれば、移住後も転職せずに仕事ができるのではないかという考えが浮かんだ。特に会社が人手不足のため、ある程度の融通を利かせられるのではないかという目算が、その思いつきを後押しした。そこで関西に絞って移住の候補を考え始める中で、和歌山が浮上してきたという。

「海外に行きたいとか、寒いところはちょっと辛いとか条件を考えると、空港から遠いところ、たとえば京都とか奈良とかは外れてくるんですよね。大阪は都会すぎるし、兵庫も都会。それで和歌山なら地図でみると結構関西空港に近いし、南だから暖かそうって思ったんです。それで、どんなところかわからないからとにかく1回行ってみようと。」

Airbnb等を利用し、地域の人と交流しながら何度か和歌山に滞在した。その中で現地の人に良くしてもらった経験から、石渡さんの気持ちは一気に和歌山へと傾き、移住を決めた。現在は東京時代から勤める会社の関西オフィスに所属しながら、基本はリモートで働く生活を続けている。いつでも関西空港に行ける距離感と、のどかな田園風景と高い空。石渡さんの転職せずに移住という選択は、和歌山という土地の絶妙なバランスの上に成立している。

「和歌山に来て、はじめて日本って実は結構いい国なのかもしれないって思ったんですよ」

石渡さんは、長くギャップに苦しんできた。東京で生まれ育ちながら、どこか東京に馴染めない。大人になってから新しく知り合いをつくるハードルも高いという実感も強かった。

「よほどとがっていたりとか、もしくは高いコミュニケーション能力があれば、別なんでしょうけど。普通の人間としては、なんだかちょっと厳しかったんですね。だから、日本人のメンタリティってあんま好きじゃないなって。海外行くとなんだかみんなフレンドリーなので、休みにはいつも海外に行きたいとか日本を出たいってばっかり思ってたんです。」

そんな石渡さんが和歌山に来て感じたのは、それまで感じてきたのとは異なる人間のフランクさだった。どこか「日本人」にたいして心の距離を感じていた石渡さんにとって、移住前からフランクに接してくれる和歌山の人々はすごく新鮮だったという。「和歌山に来て、はじめて日本って実は結構いい国なのかもしれないって思ったんですよ。」

石渡さんの活動拠点「おいけのまど」付近は、のどかな田園風景が広がる。

試しに和歌山を訪れたときにみた風景に、憧れ続けていたバリの田園風景とどこか近いところを感じたのも、移住の決め手の一つだという。田んぼがあり、きれいな海があり、人が温かい。

「これを言うと和歌山の人は笑うんですけど、本当に真面目にそう思ったんですよ。例えばバリだったら日本から来たと言ったら『おぉジャパン!』みたいに驚いて歓迎してくれる。それが、こちらでも似たような感じだったんですよね。『東京です』『東京から!?』みたいに、すごいみんな驚いてくれる。それで一気に親近感が湧いて、ここいいかもって思いました。」

楽しませてもらう側から楽しませる側へ 

移住してから大きく変わったのは、休日の過ごし方だ。東京に住んでいたときには、主にお金を支払ってレジャーを楽しんだり、何かしらのサービスを受けるという過ごし方が多かった。しかし、移住してからは楽しませてもらう側から、楽しませる側の醍醐味に目覚めたという。

現在石渡さんは、現地で出会った仲間たちとともに立ち上げた、大池遊園駅から徒歩15秒のところにある直売所兼イベントスペース「おいけのまど」を運営している。移住後に参加したイベントでできた人のつながりが、物件との出会いへとつながった。

「持ち主の人は果樹農家で、ここは農業用倉庫として資材で全部埋まってたんです。それでもう使わないから、潰そうとしてた。でも外観もいい感じだったし、なんかもったいないねって仲間となって。それで相談したら、有効活用できるなら全然いいよということで、おいけのまどをはじめました。はじめは中のものを全部出して、DIYで壁を磨いたりとかしながら整えていきましたね。ちょうど木工作家さんが仲間にいたんで、彼が主導してやってくれました。」

土日のみオープンする「おいけのまど」。開放的な空間で、いろんな人が顔を出しにやってくる。

そうして出来上がった「おいけのまど」では、近くの耕作放棄地を借り仲間内で野菜の栽培を行ったり、イベントの開催も行っている。イベントの中身は、枝豆やイチジク、ブロッコリーの収穫体験や、カトラリーやウッドワーク制作体験、子供向けのお金について考えるイベントなど多様だ。コロナ禍では、その状況を逆手にとり、野菜のドライブスルー企画を行ったり、オンラインでの料理教室、世界中の知り合いをつないだオンライン世界旅行などにも挑戦した。また店内では、地域の人が持ち込んだ野菜の直売だけでなく、多くの地元の作家さんの作品や、Tシャツ、廃棄されてきた梅酢なども扱っている。

「Tシャツとか、梅酢とか、バッグとかも、売れるかわからないじゃないですか。でも、とりあえず試してみる。売れなくても失うものもそんなにないし、ここはとりあえず知ってもらう場所って感じですね。仕事じゃないやりたいことを試せる場所。はじめてから三年ちょっと経って、そういう場所になってきてるのかなと。」

休日には、海辺で楽器を演奏したり、カフェ巡りをすることもある。野球ファンの石渡さんにとって、京セラドームが案外遠くないというのも重要なポイントだ。田舎暮らしを楽しみながら、同時に都会っぽい遊びもできる。和歌山市に住む魅力はここにある。

直売所内には、書籍や農産物、バッグ、Tシャツなど多種多様な製品が並べられている。

ワンクッション置くこと

田舎暮しに憧れながらも、和歌山県の比較的都市部に住居を構える石渡さん。自身の経験から、移住の際にワンクッション置くことが、大切だという。いきなり東京から田舎を目指すのではなく、和歌山市のような地方都市やその周辺に住みながら、より田舎の土地に通うというステップを踏むことで、ギャップに驚いたり困ることはなくなる。それだけではない。

「街に住みながらそういうところに通うと、どんどんといろんなネットワークができると思うし、新たな発見があると思うので、それでよかったらまたそちらに行けばいいと思います。街が気に入ったら、そこに住んで通うだけにするのも良いですし。」

いざ移住して住むとなると、住環境などだけでなく、日々付き合っていく人との関係が大切だ。だからこそいろんな人とのつながりができるように、地域の人と交流ができる民泊に泊まったり、イベントに参加してみると良い、と石渡さんはいう。実際、石渡さんが和歌山に移住先を定める原動力も、下見旅行で出会った多くの人たちとの出会いの中にあった。

これからは、より「おいけのまど」の活動に割く力を増やし、活動の幅を広げていきたいという石渡さん。どのような活動を繰り広げていくのか楽しみだ。