小澤 光範(おざわ みつのり)さん

大阪府→有田川町

和歌山県有田川町出身。有田川町は和歌山県の真ん中より少し北、海岸沿いから少し内陸に位置するまちで、全国でも有名な有田みかんの産地だ。みかんのシーズンになると季節労働者がたくさんまちを訪れる地域のため、田舎での農業に憧れる人も訪れやすいまちではないだろうか。小澤さんは農業の可能性を見出し、大阪からUターンして家業のみかん農家の6代目として、みかんの生産・販売をしながら、「みかんのみっちゃん」として自らがキャラクターとなり、SNSやイベントなどでみかんの魅力を発信する活動をしてる。

農業の可能性を見出してUターンを決意

「正直、和歌山も嫌いで、有田も嫌いだったんです。絶対に戻ってきたくないと思ってました」。
小澤さんはもともと、家業のみかん農家の仕事や、和歌山、有田川町にマイナスのイメージを抱いていたそう。「みかん農家は、稼げへん、儲からへん、臭い、汚いイメージ。有田地域の方言特有の『強さ』、オラオラ系の言葉も自分の性格に合わなかった」と語る小澤さん。都会へ出て、サラリーマンとして働く道を選んだ。

生物や理系の科目が好きだったことから、大学は奈良県にキャンパスがある近畿大学農学部へ進学。大学卒業後は、カタログなどで農家さんや商品を紹介する大阪の会社に営業として就職し、カメラマンやライターと一緒に全国の農家さんの取材に同行していた。取材先を訪れるうちに、農家さんたちがみんなプライドと熱い想いを持って商品を作っているということを体感し、これまで自分がみかん農家の悪い部分しか見ていなかったことに気づいたそう。そんな中、ある農家さんとの出会いがきっかけで小澤さんの考え方が大きく変わる。

「これからは、インターネットを使って作り手と消費者が簡単に繋がれる時代がすぐそこまで来ている」。当時まだSNSという言葉もない時代だったが、その農家さんはこのように考えていたという。そのような時代が来れば、やり方次第で農家はスターになれるかもしれないし、生まれながらのエリートと呼ばれるかもしれない。自分次第で、農業は面白くも楽しくもなるということに気づいた小澤さんは、「稼げる農家、かっこいい農家に自分もなれる!」と夢を抱き、Uターンを決意した。

笑顔で取材に応えてくれる小澤さん。ご自身のみかん畑にて。

「戻ってくることに反対はされましたね。その時は夢半ばで、勢いで帰郷したところもあるので。父と母は何十年と農家をしてるので、現実を知ってますし、『本当にこれでいいのか?』と何度も止められました」。Uターン当時のことをそう振り返る。

同世代の人と話したくて外へ。広がる活動。

久しぶりの地元での生活はどのように感じたのか尋ねた。
「やっぱり、理想と現実は違いましたね。今まで都会で5分に1本来ていた電車が、40分に1本。車がないと生活できない。会う人は60〜70代のおじいちゃんおばあちゃん、話も合わない。とても窮屈だった。みかんどうこうというより、自分の選択、間違ったのかな?と思いましたね」。

若い人、同世代の人と話したくて、ストレス解消のため大阪や和歌山市内で開催されていたイベントに参加し、多い時で1日なんと7件ものイベントを朝から夜中までハシゴしていたそう。遠くからみかんを持って毎回イベントに参加し、みかんの魅力を語る小澤さんはすぐに噂になり、ほかの参加者から「みかんのみっちゃん」と呼ばれるようになった。

通っていたイベントの繋がりで出店したマルシェで「小澤さんのみかんを食べてみたい」という方に出会い、そのたった一人のお客さんから小澤さんのみかんはクチコミで広がっていった。今でも販売サイトは持っておらず、SNSを中心に販売されており、Instagramのフォロワーは1万8千人を超える広がりを見せている。

小澤さんは、みかんができるまでの物語を描いた絵本を箱にするというプロジェクトでクラウドファンディングにも挑戦した。
「みかんって、気軽に手軽に、いくつでも、リーズナブルみたいなイメージがあって、でもその裏腹に雑に安くというイメージがあります。みかんの価値を上げたいと思っています。
みかんが出来る過程をちょっとでも知ってもらって、みかんに興味を持ってもらえれば、次の世代に繋がるのではないかと考えています」と食育への思いを語る。

地域の外の人とまちを農業でつなぐ

小澤さんは収穫シーズンになると、日本全国から住み込みでみかんの収穫のお手伝いをしてくれる方の受け入れをしている。

「大前提として、僕のところに来てくれる人は、お金稼ぎを目的としている方はお断りさせていただいています。1年、3年、5年と長い年月をかけて大切に育てたみかんを、お金目的に雑に扱われるのが嫌で。丁寧にお客さんに届けられる人、農家さんを手伝いたいと思っている人に来て欲しいなと思っています」。
これまで体験に来られた方の中には、県外で就農した方もいるそうだ。

家業を継いで農家になった小澤さんだが、有田川町で新規就農するにはどうすればいいのだろうか。

「まずは役場に相談するべきですね。みかんは実がなかったらお金にならないですし、すぐには収穫もできません。まずは週末農業から始めるのが良いのではと思いますね。移住も同じで、昔に比べてアクセスも良くなったので、まずは定期的に足を運んでみるのが良いと思います。みかんの収穫体験もそのきっかけの一つになるんじゃないでしょうか。住むって覚悟が必要だと感じてます。少しずつ、ステップアップしていく感じですかね。都会すぎず、田舎すぎず、住むのには最適な町だと思いますよ」。

また、有田川町は移住者への支援が充実している地域だと小澤さんは感じているという。

小澤さんは役場と一緒にみかんのPRを積極的に行い、新規就農者を増やすための活動も行っている。この地域はみかんの産地ということで収穫シーズンだけ人手が必要なことが多く、移住というよりも一時的にこの土地に滞在している人がほとんどだそう。今は移住・定住しやすい環境になるにはまだ課題があるようだ。

「僕は、年中収穫できる畑にしたいと思ってます。そうすると、何かしら1年中収穫の仕事だったりに関わってもらえるので、その形態を作っていこうとしています」。

そう語る小澤さんはなんと、合計13カ所の畑で約60品種もの柑橘を管理している。畑からは有田川町のまちが一望できる。

有田川町の町が一望できる小澤さんのみかん畑

地域の未来を守るための一歩

小澤さんの畑がある市場地区では、若い後継者がいる農家は小澤さんを含めて2軒ほど。これから10年で周辺の畑の景色は変わってしまうのではないかと危惧している。地域に様々な問題を起こす耕作放棄地を増やさないために農地を引き継ぐという手段もあるが、「資産」である農地を引き継ぐことは地域の人間でも簡単なことではないそうで、移住者の新規就農者ならなおさら難しいという話をよく聞くそう。

もし農園を引き継ぐならば、まずは大きな企業農園や小澤さんのところのような農園で働きながら、農家としてのノウハウを学びつつ、時間をかけて地域との繋がりを築いたのちが良いと小澤さんは考えている。

小澤さんは自分の農園を含めた若手農家チームを作り、耕作放棄地を活用する活動をはじめている。

「まずは3年、5年、10年のスパンで先の世界を想像しながら、この地域の景色を守っていく取り組みを少しずつしていきたい」。みかんと同じように、小澤さんは有田川町の未来もゆっくり大切に育てている。