玉置 太郎(たまき たろう)さん

岐阜県→田辺市

玉置さんは田辺市にある陶器屋の息子として生まれ、地元の高校を卒業後、大阪の大学に進学した。その後、アパレル関係の仕事に就き、岐阜・名古屋エリアに配属。約2年間働いた後、田辺市にUターンすることを決めた。就職フェアのイベントに参加し、そこで出会った株式会社藤原農機に就職。地元が好きで、もともとは県外に出るつもりもなかったという玉置さん。Uターンの経緯と、地元田辺市への思いを伺った。

仕事としての関係を上回る、お客様からの感謝にやりがいを感じる

高校を卒業し、進学や就職のために県外に出てそのままその土地で生活するというのは、田舎出身者にとってよくあるパターンだ。一方で、いつかは地元に帰ろうと決めて県外に出る人もいる。今回取材させていただいた玉置さんもその一人だ。玉置さんは、配属となった岐阜・名古屋周辺のエリアでアパレル関係の仕事に従事した後、地元に帰り、和歌山県みなべ町に本社がある藤原農機に就職した。

「本当は田辺から出たくはなかったんですけど、選択肢を広げようという気持ちで一度外に出ました。前職の会社も好きで、好きなまま辞めたんですけど、ちょうどコロナや異動のタイミングが相まって踏ん切りがつきました。たまたま、お盆に帰ってきていたときにUターン向けの就職フェアみたいなのをしてたんで、行ってみたら、藤原農機の方に声をかけてもらい就職という形になりました。」

藤原農機は、農業機械の販売や修理のほか、肥料や農薬の販売などを行っている会社だ。アパレル業から農業関係へ。まったく異なる業種への転身ではあるが、お客様と関わる仕事という点で通じるところがあるという。また、玉置さんの祖父が農家をしており、玉置さんご自身もその手伝いをするなかで、農業に関する仕事に興味を持っていたそうだ。

「『お客様とハイタッチな関係を築く』というのが理念にあって、ここに入ったら楽しくやれそうやなと思いました。会社の人たちで集まってバーベキューしたりとか、人間関係は最高ですね。仕事面でいうと、もちろん機械の修理とかは未経験だったんで戸惑いはあったんですけど、やってみたら意外とできるもんやなと思いました。

お客さんとの距離が近いのもいいですね。お客さんからすると、機械が使えんかったら仕事ができへんという状態でうちに来てくれるんで、それを仕事ができる状態まで戻してあげたらすごく感謝してくれるんです。こっちも仕事でやってるんですけど、それを上回る感謝をしてくれるっていう。そこは結構やりがいですね。」

田辺市は、いろんなことが「ちょうどいい」まち

大阪や中部地方での生活を経験し、地元へと帰ってきた玉置さんに、あらためてご自身が感じる田辺の良さについて尋ねた。

「なんか、ちょうどいいんですよね。ちょうどいい距離に山があって、海があって、きれいな川があって、ちょうどいい感じの飲み屋街があって、みたいな。ほしい服屋さんがないとか当然不便なところはあるんですけど、田辺からなら大阪も全然車で行ける距離ですし。」

趣味はツーリングとカメラ、そして幼い頃から続けているお茶だという。

「仕事の友達とか、高校の時の友達と行くことが多いんですけど、南下していくことが多いです。よく行くのは日置(ひき)とか、勝浦とかも行きますし、夏は古座川とか。日帰りで、何をするということもなく帰ってくるんですけど、海沿いを走りながら南のほうの町へ行くことが多いです。

お茶は、月見とか、重陽の節句、12月なら忘年の茶会、正月は初釜というふうに、毎年その時期のイベントがあるんです。意外と日常生活していて『今年もこれができて良かった』と思うタイミングってないと思うんですけど、お茶してたらそれが多いんですよ。去年はコロナでできんかったけど、今年はできて、みんな集まってくれて良かったなとか。何気ない繰り返しなんですけど、結構それが好きなんです。」

毎年7月に行われる、闘鶏神社の例大祭「田辺祭」というお祭りがある。田辺市内の旧城下町の八町が、「おかさ」と呼ばれる笠鉾を出して町々を練り歩くお祭りで、紀州三大祭りにも数えられている。地元ということもあり、お茶や地域のお祭りでできたコミュニティがあることも、玉置さんにとって田辺で暮らすことの大きなポイントになっているそうだ。

コロナ禍以前の「田辺祭」の様子(写真提供:玉置さん)

自分が従事している会社を大きくすることが、地域のためにも繋がる

国内全体での人口が減少するなか、田辺市も例外ではなく人口減少の傾向にある。お祭りに参加する人も年々減っているという。高校までを田辺市で暮らし、一度県外に出てUターンしてきた玉置さんだからこそ、地域の変化について実感することもあるだろう。まちが直面している課題や、地域の将来について玉置さんが考えていることを教えていただいた。

「ちょっと面白かったのが、売上100億円規模の企業が5つあれば、まち全体が潤っていい感じに回っていくんじゃないかという話があって。そういうところで、僕らができることって、ひとえに自分が従事している会社を大きくしていくことなのかなと。売上だけがすべてではないと思うんですけど、それに付随して人も多く雇えると思うんで。

たぶん、昔のままの藤原農機やったら僕は入社してないと思うんですよね。今のすごく勢いのある会社やから入ったみたいなところもあるので。そういう会社がたくさんあれば、帰ってきやすい人もおるんちゃうかなと思います。」

最後に、今移住を検討している人に向けてのアドバイスを尋ねると、田辺市にIターンしてきた知人のお話を踏まえてこう答えてくれた。

「自分で農家になるんじゃなくて、農家のもとへ働きにいってみて、肌に合えば移住して自分でやってみる、という知り合いは結構多いです。いろんなところに行っている人から、こっちは馴染みやすいという話もよく聞きますね。自分から積極的に関わろうとすると、ちゃんと応えてくれるというか。知り合いに仙台から来たイタリア人がいて、梅屋さんで働いてるんですけど、『自然もあって人もいい』ということを言っていました。」

近くの河原に向かう道。地域の何気ない風景が好きだという。

移住するにあたって不安を感じている方は、玉置さんの言うように少しずつまちの人との接点をつくり、自分に合う土地かどうか確認していくと安心に繋がるだろう。今回は田辺市で生まれ育ち、地域のことをよく知る玉置さんだからこそのリアルなお話を聞かせていただいた。田辺市は比較的アクセスのいい地域なので、気になった方は気軽に訪れてみていただきたい。