津崎兼一さん

京都府→那智勝浦町

京都府出身。青年海外協力隊の活動を終え帰国後、移住。地域おこし協力隊を経て製炭士に。

移住の始まり

以前は京都で竹細工の仕事をしていた津崎さん。
2007年25歳の時に青年海外協力隊でグアテマラへ。
「帰国後、グアテマラで感じた温かい地域コミュニティの良さが忘れられなくて。そういう環境が残る地域が日本にもまだあるのでは・・と思っていたんです。」
そんな折にグアテマラで一緒に活動していた方が那智勝浦町色川地域の集落支援員をされている事を知りました。「タイミング良く地域おこし協力隊の募集があったので、これを機に移住を決意しました。」

製炭士の道

2010年、初めて色川を訪れました。
「手つかずの自然が残っていて、すごい所に来たなと感じました。」
「炭焼きを始めたきっかけは、自分で使う分くらいは自分で作りたいなと。自給用の炭が出来るようになってきた頃から炭焼きの魅力にのめりこむようになっていきましたね。」 移住して2年間、地域おこし協力隊を勤めていた津崎さんは製炭士の道へ。習得が早く、通常一年くらいの弟子入り期間を半年ほどで終えてしまったそうです。
「でもその期間は収入がないので、蓄えを取り崩しながらで大変でしたね。」師匠から窯を譲ってもらい一人立ちしました。
備長炭はウバメガシという木から作ります。
「原木は自分で山に入って探したり、地元の猟師さんなどからある場所を教えて頂いたりしています。孫の代などになって、山の境界がわからない場合もありますが。」
「昔はこの辺り一帯に沢山の製炭士さんがいて、その人達を養うだけの豊かな山があったのですが、現在はこの仕事をする人も減ってしまい、山も荒れてきています。」
「炭焼きは火加減、窯の温度調節が難しい。煙の色やにおいで温度を判別しないといけないんです。」現在は完成した炭を問屋さんへ卸しているそうです。
2012年、Iターン二世でもある色川地域の女性と出会い、結婚。
「まだまだ安定した収入ではありませんが、いつも応援してくれている奥さんには感謝しています。」

これから

「年間500俵(7500㎏)作って一人前だと言われます。目標までもう少し。作る量を増やしたいです。芸術家と違って職人ですから。」
「あとは自宅の近くに新たに窯を作りたいですし、インターネットでの販売もやっていきたい。ゆくゆくは竹細工も活かしたいですね。」

メッセージ

「炭焼きを考えているなら、孤独で黙々と仕事が出来る人は向いているんじゃないかな。炭焼きっておもしろいですよ。」
「田舎では人とのつながりが大切。その地域にはどういう人が住んでいるのか、自分のやりたい事ができるコミュニティか、きちんと見てから移住を進めてほしいですね。」と語ってくれました。