田中 那津美(たなか なつみ)さん

兵庫県→すさみ町

兵庫県出身。高校を卒業後、奈良県の大学に進学し、神戸市の旅行会社に就職。その後、奈良県で雑誌制作など行う会社に6年ほど勤務。最後の年に、部署異動のため移住した下北山村で田舎暮らしの魅力を感じる。次年度の進路について模索するなか、和歌山県で新しく長期滞在型の宿泊施設を始める女性が立ち上げメンバーを募集していることを知り、和歌山県に移り住むことに。現在は「すさみ町多世代交流施設E’cora(イコラ)」の集落支援員として活動中。

田舎での暮らしの楽しさを、多くの人に共有したい

兵庫県の神戸市で生まれ育ち、奈良県に来てからも比較的都会のまちで暮らしていた田中さん。会社の部署異動で下北山村に移り住んだ際、そこで感じた田舎での暮らしを多くの人に共有したいと思うようになった。

「下北山村に移住をして、次年度の配属を決める時期にすごく悩んでいたんです。それまでは都会に住んでましたけど、初めて田舎の土地に生活を移して『めっちゃ楽しいやん』と思って(笑)。それを自分一人で体験するものじゃなくて、いろんな人に共有できたらもっと生活が豊かになるんだろうなと思いました。このまま下北山村に会社員として残るのか、協力隊になって残るのかなど、いろんな選択肢を考えていましたね」。

そんななか、進路の悩みを相談していた友人からとある動画を見るよう勧められる。その動画に映っていたのが、当時古座川町でゲストハウスを営んでいる女性だった。ゲストハウスは旅行などで訪れる比較的短期の宿泊者向けの宿。その土地の暮らしをよりじっくりと体験してもらうために、長期の滞在施設をつくりたい。そう考えていた女性に興味を持った田中さんは、別の友人を通じてご本人とつながることに成功した。

順調に事が進む一方で、「今の会社を辞めて、自分のしたいことに真っ直ぐになっていいのだろうか……」そんな迷いもあった。田中さんは、多様な経験を持つ人に相談しようと、父親の地元である宮崎県へ。

「休暇を取って宮崎に行きました。そこでお会いした人たちも移住や起業をしていて、みなさん人生経験が豊富な方々だったので、いろんなアドバイスをもらって本当に背中を押してもらいました」。

「すさみ町多世代交流施設E’cora(イコラ)」にて、2021年2月に開催されたイベント「お花見と縁日と」の様子

その地域らしくあることが、生活の豊かさにつながる

すさみ町に移住し、長期滞在施設の立ち上げという一つのミッションに携わった田中さん。その後、縁あって「すさみ町多世代交流施設E’cora(イコラ)」で集落支援員として働くことになった。そして地域の方々と関わるうちに、今ある地域を作ってきた人の声を大切にしたいという思いが芽生える。

「地域の方々の郷土愛が強いんですよね。『町には何もない』と言いながら、それでもここを離れられない理由が何かあるんだろうなと思っていて。それは今までこの地域を作ってきた方々のなかにあるんじゃないかなと。この町は、今の70代、80代以上の方々が作ってきたといっても過言ではない気がするんです。だからその方々の声を大事にしたいなと思っています」。

田中さんが大切にしている言葉に「不易流行」という考え方がある。解釈には諸説あるが、ここでは、「古いもの」と「流行」とは逆の意味を持つ言葉でありながら、本質的には同じであるという意味合いだ。不易を大事にしなければ流行がひとり歩きしていくのではないか。そんな思いから、田中さんは不易の部分を伝える役割を担いたいと話す。

「町の歴史をまとめた『すさみ町史』っていう分厚い本があって、その編集に携わった方に去年の12月にお会いしたんです。その方がつい先日お亡くなりになられて、それがとてもショックで。こうやって歴史ってどんどん忘れられていくんだなと思いました。忘れられていく地域らしさをもう一度発掘して、ちゃんと目を向けて、現代に合う新しい方法で再編集していけたらいいなと思っています」。

田舎暮らしを始めたばかりのころは、その暮らしを地域の外の方々に知ってもらいたいと思っていた田中さんだが、すさみ町での生活を重ねるにつれて地域の中へと目を向けるようになった。すさみ町に来てから、まだ一年ほど。知らないこともたくさんあるが、これまでの経験を活かして、田中さんらしい方法で地域の歴史をつないでいこうとしている。

ところで、地域の歴史や文化を継承し、その地域らしくあることの意味とは何だろうか。田中さんは少し考えた後、笑顔でこう答えてくれた。

「うーん、それが自分の生活の豊かさにつながるんじゃないかなと思っていて。たとえば、すさみ町だったらケンケン鰹っていうのが名産で、獲れた鰹を刺身で食べて『めっちゃうまい、幸せ!』みたいな(笑)。お祭りでも、もともとはその土地の氏神様を祀るためにしていたものだけれども、大事なのは地域が一体となって『お祭りの当日に向かって頑張っていこうよ』みたいな気持ちの部分だと思うんですよ。だからその地域らしくあることは、結局はそこに住んでいる人の生活の幸せ度であったり、豊かさを高めることにつながっていくんじゃないかなって思うんです」。

田中さんが集落支援員として活動する「すさみ町多世代交流施設E’cora(イコラ)」

来てくれるなら、最大級のおもてなしをしたい

すさみ町には「人を引き寄せる力がある」と田中さんは表現する。すさみ町への移住を決めた際も、地域の人が積極的に受け入れようとする姿勢が一つのポイントだった。

「すごいウェルカムにみなさん迎えてくれるので、こっちもそれに応えたいという気持ちになります。血のつながっていない親戚や家族みたいな感じで、温かいまちです」。

そんな田中さんに引き寄せられ、地元の友人も遊びに来てくれることがあるのだそう。

「『なっちゃん、今すさみ町なん?どこ?(笑)』みたいな感じで、実際に宿にも泊まりに来てくれました。めっちゃ嬉しいですし、そういうつながりは大事にしたいです。わざわざ足を運んできてくれるんですからね。なんか、ここにいる方もそんな気持ちなんだろうなと思います。『来てくれるんだったら最大級のおもてなしをしたい』と、そういう気持ちになるんですよね」。

お引越しのような軽いフットワークで

「移住っていうとハードル高いですけど、お引越しとかに近いのかなと思っていて。自分が生活する上で何が大事かっていうところを考えて、『ちょっと引越すねん、田舎に』くらいの気持ちでいんじゃないですかね。

行った先の心配事を考えていたらなかなかお引越しできないと思うので、不安はないと思いましょう。どうにかなるもん(笑)。違うと思ったら第三、第四の拠点をつくっていけばいいと思いますし。それは自分の自由だと思うので」。

終始、落ち着きある明るいトーンで話してくれた田中さん。「すさみ町多世代交流施設E’cora(イコラ)」の方々とも、本当に仲の良さそうな雰囲気。一つひとつの質問に対して、素早くも丁寧にご自身の言葉で返してくれる田中さんのお話は、等身大の魅力にあふれていた。