外山 哲也(とやま てつや)さん、麻子(あさこ)さんご夫妻

東京都→那智勝浦町

哲也さんは兵庫県出身、新潟県や東京都での生活を経て和歌山県へ。妻の麻子さんは福岡県出身、東京都、神奈川県での生活を経て和歌山県へ。ご夫婦の移住先は和歌山県の中でも特に移住者が多く、住民の半数が移住者で占める那智勝浦町色川地区。

田舎暮らしがしたいという共通点

農村暮らしがしたくて和歌山県へ移住して30年以上になる哲也さん。今、住んでいる那智勝浦町色川での生活が17年、その前は同じ和歌山県内のすさみ町佐本で15年ほど住まれていました。

「当時佐本には移住者なんてほぼいなかったけど、近隣の人が、凄くよく面倒を見てくれて。引っ越しのとき、わらわらと近所の人が集まって手伝ってくれたのにはびっくりしました。我が家の田植えの段取り勝手につけてくれたり、本来は我が家で用意するはずのご飯まで作って来てくれたり(笑)」。

奥さまの麻子さんは、東京大学の大学院で環境問題や移住行動についての研究をする上で、移住者が多い地域として現地調査に那智勝浦町色川を訪れた事がきっかけで移住をしました。

「環境問題への関心を突き詰めたら、自分には田舎暮らししかないと思う様になって、自分の移住の為に移住の研究をしてました(笑)。それを踏まえて、昔の暮らしの知恵を実行している人に教えてほしいって思っていた中で、人間関係が作りやすかったのが色川でした」。

農業はやりづらいけど、自給自足はしやすい!?

外山さんご夫妻は色川で知り合いご結婚をされ、現在はお子様が2人の4人家族。自給自足をしながら、自宅で飼っている鶏の卵や、栽培しているお茶などを販売して生活しているそうです。色川は山深い地形を開拓した地域。日照の短さ、地形的に広い露地が少なく農業にはあまり向かない土地ともいわれていますが、寒暖差からお茶の栽培や、棚田での米作りなどが盛んに行われています。

「この辺は農業はやりづらいけど、自給自足はしやすいんですよ。水は沢水を引けたり、薪が使い放題なのでお風呂は薪風呂。ガスや電子レンジは使っていません。極力お金を使わないで済む生活が意外とできます」。
さらに、色川には“ぐるぐるマーケット”という、使わなくなったものを持ち寄って必要な人が使って、またそれを回して再利用していく活動などもあるそうです。

移住の歴史背景が深い色川

那智勝浦町色川に移住者が多い理由について伺いました。
「1970年代の色川では、農的な暮らしをしようと活動する移住者で作られた生活共同体「耕人舎」が有機農業や梅の加工などの活動を開始していたようです。その頃から移住者を受け入れており、地元以外の人たちに対してオープンで、距離感も近くて、今では住民の半数が移住者なのです」。

移住を受け入れる先進地となった色川地域。少し前まで地元の人たちは、移住者を「耕人舎さん」と呼ぶ事もあったそうで、歴史の濃さに驚かされました。ちなみに、麻子さんも移住当初に耕人舎さんと呼ばれた事もあったそうです。

一回ふらっと遊びに来てみたら良い

「ふらっと来ても泊まれる場所はあるから、移住するしないに関わらず、一回地域に入って暮らしてみるって大事だと思います。実際にふらっと来てそのまま泊まる人いますよ。(笑)」
そう語るご夫妻は、現在、農業体験を兼ねて移住を考えている兵庫県からの若いご夫婦を受け入れており、3ケ月目を迎えるそうです。

移住検討中のお二人に話を聞くと、「色々な作業があるから、実はかなり忙しいです。それを楽しめないと厳しいと思う。自分たちは忙しい毎日が楽しい」と、満面の笑みで話してくれました。
また、その言葉に外山さんご夫妻は「移住する側の“自分の人生”と、受け入れる側の“地域の存続のための一員として”というギャップはどうしてもあると思うけど、そんな面も含めて楽しんでくれる人が来てくれたら良いですね」と続けて話してくれました。

そんな外山さんご夫妻の考えに賛同する方も多く、県外から訪れる移住希望者、農業体験希望者が後を絶ちません。

選択肢を広げて

「人生って、いろんな生き方があって良いはずなんだけど、多くの人が安定したお給料をもらって、お金ありきで暮らすというのが当たり前になっています。世界を放浪しながら一生を歩むとか、僕たちのように自給自足で毎日を笑って暮らすとか、いろんな選択肢があっていいですよね」。

“地方では生活していくのが厳しい”いつしか、そんなイメージが出来上がってしまった現代において、自分たちの色川ライフを楽しんでいる外山さんご夫妻の笑顔がとても印象的でした。

「色川の棚田においでよ!」HP