高瀬 勇人(たかせ ゆうと)さん

石川県→橋本市

―「和歌山ってこんな場所なんや、というのを多くの人に知ってもらいたい」そう話すのは、橋本市高野口町(こうやぐちちょう)にある銭湯「高野口乃湯」(こうやぐちのゆ)で番台を務める高瀬勇人さん。2024年に石川県から移住し、念願の銭湯の仕事に就いた高瀬さんは、昔ながらの文化に新しい風を吹き込み、地域を盛り上げようと奮闘中。そんな高瀬さんに、移住を決めた経緯や、地域での暮らしについてお話を伺った―

「お風呂好き」が仕事になった、人生の転機

石川県出身の高瀬さんは、物心ついた頃から銭湯が大好きだったという。「もともと石川県民は風呂屋に行く習慣があり、家族や友達と一緒に風呂屋に行くのが定番」と話す。大学卒業後、地元企業に就職し、営業職として全国を飛び回る中で、仕事終わりに行く銭湯が「特別な時間」になっていた。嫌なことがあっても、良いことがあっても、銭湯に入ることで一日を気持ちよく終えることができ、「社会人になって、改めて銭湯ってすごいな、と感じました」と高瀬さんは語る。
いつか銭湯の仕事をしたいという思いを抱えつつも、銭湯はほとんどが家族経営であるため、「第三者がお店をやるのは非常に難しい」と半ば諦めていた。そんな時、たまたまSNSで「和歌山県に新しい銭湯が立ち上がる、担当者募集」という投稿を目にした。まさに探し求めていた機会に「絶対にやるべきだ」と迷いはなく、すぐに前の仕事を辞めて移住する決意を固めた。

お話を伺った部屋も、交流スペースとしてリノベーション予定

空き家を再生した、新しい銭湯の挑戦

高瀬さんが番台を務める「高野口乃湯」は、高野口町で長年事業を行ってきた銭湯の運営会社の社長が「地域に恩返しをしたい」という思いで立ち上げた。高野口町で事業を発展していった歴史を持つ社長は、衰退していく地元を見て「もっと活気のある街に戻したい」と考えたそう。
「『高野口乃湯』は、元々空き家だった築100年の古民家を改装し、敷地の奥に新しい浴場を増築した、独特な構造をしています。古民家と新設のお風呂場を繋ぎ合わせる工事は難航し、オープン直前までバタバタの日々でした」と工事の大変さを語る。高瀬さんが現場に入れたのは、営業開始のわずか1~2週間前で、お風呂の沸かし方すら分からない中、冷蔵庫などの備品の設置や、マニュアルを作成するなど苦労したそう。
しかし、困難を乗り越えオープンにこぎつけると、想像を超える大盛況に。
この銭湯の大きなこだわりは、「銭湯=古くて汚い」というイメージを払拭することにあった。清潔さを一番に考えたほか、番台から浴室が見えない現代的な銭湯のロビー式を採用し、女性客が安心して利用できるよう配慮している。また、シャンプーや質の良いドライヤー、化粧水などを無料で用意するなど、若い世代にも銭湯を楽しんでもらうための工夫が随所に凝らされている。

趣がある玄関

木札鍵付き下駄箱が並ぶ

清潔感あふれる浴場内

橋本市高野口町での暮らし

「高野口乃湯」がある橋本市は、北は大阪府、東は奈良県との県境に位置する紀北エリアの町。2006年3月、橋本市と隣町の高野口町が合併、「高野口乃湯」は旧・高野口町にあり、その名前の通り、世界遺産「高野山」の玄関口で宿場町として栄えた歴史がある。また、近くを流れる一級河川「紀の川」の豊富な水により、パイル織物産業が発展した地域である。

当地の名産「高野口パイル」があしらわれたソファー

移住前は和歌山県や橋本市についてほとんど知らなかったという高瀬さんだが、「実際に暮らしてみると『本当に住みやすい』と感じています」と話す。国道24号線沿いには生活に必要なものが全て揃っている。一方で自然が豊かで山々に囲まれ、晴れた日の朝はとても気持ちが良いそうだ。
「移住者が地域に馴染むには、『自分はこういう人だ』と心を開き、挨拶をするなど、自ら一歩踏み出すことが大切だと感じました」と高瀬さん。正直、最初は「よそ者」として見られるような感覚があったそうだが、今では、喫茶店などで「高瀬さんだよね!」と声をかけられたり、銭湯のオープンを応援してくれたりする人が多く、よそ者と感じることは全くない。

地域を盛り上げる、これからの「高野口乃湯」

「高野口乃湯」の今後の目標は、「地域の人ファースト」であること。地元の人に「高野口といえば銭湯がある」と誇りに思ってもらえるような場所にしたいと考えている。今後は、銭湯の向かいにある社長所有の建物をコミュニティスペースとして改装し、地域の人や観光客が集える場所にすることも計画中。
高瀬さんは「お店にずっといるだけでなく、地域に出て行って、色々な人に自分を知ってもらい、地域のことに協力したい」と話す。橋本市には移住者が集まるコミュニティや、地域を盛り上げようと活動する人が増えているため、彼らとの交流も楽しみの一つだそうだ。

地域の事業者と一緒に祭りに参加(高野口公園桜まつり)

若手移住者が主催するイベント「ハシログSUMMIT」にて

最後に、これから移住を考えている方に向けたアドバイスを聞いた。「地方への移住は、新しい環境への不安もあるかもしれませんが、『一歩寄り添う姿勢』を持つことが大切だと思います」と高瀬さん。銭湯を地域の憩いの場、交流の場としていきたいという。和歌山で自分の「好き」を仕事にし、地域を盛り上げようとする高瀬さんに注目だ。

取材後、近くの駐車場には夏の日差しが降り注ぐ。

○「高野口乃湯」ホームページ
https://kouyaguchinoyu.com/
○「高野口乃湯」Instagram
https://www.instagram.com/kouyaguchi_noyu/
取材日:2025年7月2日