平田 聡(ひらた さとし)さん

奈良県→那智勝浦町

奈良県で育った平田さんは、東日本大震災がこれからの生き方を考え直すきっかけとなり、先に那智勝浦町太田地区で暮らしていた旧友を頼りに同地域へ移住。もともと自然が好きで、木に関わる仕事がしたいと考えていたことから炭焼きを始めた。幼い頃から絵を描くのが好きで、現在は炭焼きと絵描きの二足のわらじで活動している。一緒に移住した奥様と、5歳の息子さんとの3人暮らし。最近では野菜作りにも力を入れ始めた。

旧友の生活に憧れて、那智勝浦町太田へ移住

那智勝浦町太田地区というと、この地域を少し知っている人は田園が広がる山里の風景を思い浮かべるかもしれない。しかし、今回の取材先は太田地区の小匠集落というところにあり、集落の中でもさらに山奥に位置している。取材当日は雨が降っていたが、周囲の静けさも相まって、雨音や蛙の鳴き声が臨場感をもって響き渡っていた。

約10年前に奥様とこの場所に移住し、炭焼きと絵描きを生業にして暮らすのが平田聡さんだ。炭や絵を展示しているギャラリーにおじゃますると、奥様が焙煎したてのコーヒーを淹れてくれていた。ギャラリーは、平田さんご自身が空き家を改修して作ったという。ギャラリーの内装もしかり、平田さんご夫婦の姿勢やお話の仕方など、至る所からお二人の丁寧さを感じさせられる。

平田さんに、移住の経緯について尋ねた。

「もともと自然に携わる仕事がしたいと思っていました。なかなか一歩踏み出せずにいたのですが、東日本大震災が大きな転換点となったと思います。それからこの地域で備長炭を焼いている友人を訪ね、何度か通い、仕事内容も見せていただきました。そこでさらに備長炭の素晴らしさも知りましたし、大自然のなかで暮らす友人家族も、生活スタイルもすごく魅力的で、僕もこういう家庭を築きたいと思ったんです。それから友人に製炭士になりたい意向を伝えると、彼は快く引き受けてくれました。」

平田さんは奥様と一緒に太田地区の小匠集落へと移り住み、炭焼きを始めた。炭焼きの窯も、友人に教えてもらい自作したという。

平田さんが手作りした炭焼き窯。焼き上がった炭を出す「窯出し」の際の喜びはひとしおだ。

暮らしの軸は炭焼きと絵描き、自家菜園

平田さんは炭焼きの仕事について、率直にこのような感想を話してくれた。

「先人たちがのこしてくれた大切な知恵、日本の伝統文化なので、これからも次の世代へのこしていくべきものだと思います。自然豊かな和歌山だから育つウバメガシを使った紀州備長炭。この地域でしかできないものだからこそやりがいはあります。ただ、体力的にも結構大変なのでおすすめできる職種かというと、自分で判断していただくしかないですね。本当にやりたい人がやったらいいと思いますが、誰もができる仕事ではないと思います。」

また、自然が好きな平田さんだからこその葛藤もあり、炭の多様な活用方法を模索しているという。

「備長炭は主には燃焼用で使われることがほとんどなのですが、それだけに使われるのはもったいないと思うくらい、ほかにも使い方はあるんです。焼き締まって黒光りしている炭は本当に美しく、特に浄水用、浄化用、電磁波カットやオブジェとしての可能性を感じています。炭を下に敷き詰めたベッドで寝ると、すごく思考が良くなったという話もあるんです。」

平田さんは炭の仕事と並行して、絵描きの仕事もしている。依頼内容は、お店の壁やシャッター、名刺やロゴのデザイン、個人宅に飾る小さな絵画など多岐に渡る。体力仕事である炭と、静かに集中して向き合う絵。対局の仕事内容だが、この二つを行うことで静と動のバランスを取っているのかもしれない。

「炭と絵の両方の良さを知ってもらいたいと思い、2022年3月に絵と炭のギャラリーをオープンしました。ギャラリーは、全部屋の床下に炭を敷き詰めているので、目には見えない心地良さを体感していただき、視覚では絵を見て楽しんでもらえたら嬉しいです。」

ギャラリーは月に一日だけオープンしている。ここでは直接炭を購入することも、絵をオーダーすることも可能だ。

最近になって野菜作りも始めたという平田さん。なんでも畑の師匠ができたそうで、その方の野菜の美味しさ、エネルギーの強さに感動したのだそう。

「野菜作りは簡単ではないですが、すぐそばに自然がある環境ですし、自分で作った野菜は本当に美味しい。息子にも安心して食べさせることができるのが嬉しいです。」と微笑みます。

こんな山奥に足を運んでもらえることがありがたい

最後に、小匠集落での生活を通して感じている、暮らしの良さとネガティブな面について尋ねた。

「こっちに来て感じたことは、まず人が温かい。優しさの思いが深くて。本当に自分のことを思ってくださってるんだな、と感じます。あとはもう、自然のエネルギーは半端じゃないと思います。台風のすごさを目の当たりにして、自然って本当に甘く見たらいけないなって気づかされましたね。もう少ししたら蛙の合唱の時期がくるんですけど、それもすごくて。何百匹で一斉に鳴いているような鳴き声を聞くと、僕は今何を考えてたんやろうと意識を飛ばされることがある。考え過ぎてたんやなって気づくし、自然は精神の治療薬というか、自分には合ってるんだなと思いますね。」

一方で、ネガティブな面を尋ねると、一つは絵へのダメージが気になる湿度の高さ、もう一つは炭を作る際の原木の入手だという。

ギャラリー周辺には自然のエネルギーがダイレクトに伝わってくる環境があり、室内に入ると、内装や展示されている作品から平田さんの丁寧さが垣間見える。ついつい長居してしまいたくなるような、心地の良い空間だ。今後のギャラリーの展望について、平田さんはこのように話してくれた。

「みんな結構遠くから来てくれるんですけど、こんな山奥に足を運んでくれるって、すごくありがたいなと思いますね。共にゆっくりと時間を過ごせる場所って重要だなと思うので、ここはみんながゆっくりしていってくれる場所にしたいですね。」

一見すると、仙人のような雰囲気をまとう平田さんだが、時折見せる笑顔からは少年のような印象も受ける。炭焼きの仕事をはじめ、決して楽な生活スタイルではないだろうが、平田さんたちからは穏やかさとゆったりとした余裕が伝わってきた。平田さんの暮らしや生き方に魅力を感じた方は、アポイントを取って小匠集落のギャラリーを訪れてみてはいかがだろうか。

Instagram:mahoraja