谷山 育(たにやま いく)さん

大阪府→橋本市

大阪府堺市出身。2014年から大阪府河内長野と橋本市嵯峨谷地区の2拠点生活を送っており、週に3日ほど橋本の古民家で過ごしている。元々大阪で美術教師として勤め、現在は画家として活動する谷山さんは、自身の経験と人脈を活かし、嵯峨谷地区を活性化させるための取り組みを行っている。

魅力的な田舎で、自分流を楽しむ

庭の第2アトリエの外壁。ハンガリーの古代文字で『KAFUSHA』と書かれているそう。

高野山の向かいの山間にある21世帯が暮らす小さな山村集落、橋本市嵯峨谷地区。

谷山育さんと妻の悦子さんはこの集落の古民家を2014年に購入し、大阪府河内長野の自宅との2拠点生活を楽しんでいる。

「絶対に移住しよう」とは思っていなかったという谷山さん。河内長野の自宅は画家として活躍する谷山さんのアトリエでもあり、建築家にも設計してもらって建てた思い入れのある家だそうで、谷山さんの生活にはこちらもなくてはならない場所だ。

「もう少し自然の豊かな場所で暮らしたいという想いがあったんです。子供の頃、夏休みで田舎に帰ってる子がとても羨ましかった。堺市出身の僕には田舎がなかったですからね。自分の田舎を手に入れたかった。見ての通りの嵯峨谷のピュアな田舎が気に入っています(笑)」。

慌てず、3年間じっくり家探しをして今の家に決めたのだそう。河内長野の自宅から車で1時間以内の距離で、敷地面積が1000平米以上など、いくつか条件を決めて探した。まずはインターネットで物件情報を調べ、興味が湧いた物件は不動産屋さんを探し10軒ほど内覧したそうだ。

そうしているうちに今の物件に辿り着いた。

「3年間もいろんな物件を見て回っていると、自分なりの評価基準ができてきて。この物件は当時、まだ前の住人が住んでいたので、そこまで物件に手を入れる必要もないし、敷地も550坪ほどありますしね。どう使おうか考えたりして、小さきマイランドをつくるのが楽しいです」。

広い庭には、数多くの果樹や悦子さんの畑があり、季節の作物を収穫して楽しんでいるそう。

庭のキウイの木にたくさん実った実を収穫する谷山さん。お土産にいただいた。

「とにかく空いてる空間を全部、自分流に楽しもうと思って」。

庭の入り口には谷山さんが制作した動物がモチーフのウェルカムアーチがあり、キウイの木の側には手作りのジム、立派な山紅葉の木にはツリーハウスのようなデッキがあり、3人ほど乗れそうなブランコまである。『果風舎(かふうしゃ)』と名付けられたこの家はまさしく、谷山さんの遊び心溢れる『小さきマイランド』である。

子ども達にも人気だというブランコ。「ラブチェアーみたいに夫婦でも乗れるのよ」と二人仲良く乗ってくださった。

和歌山には本質的な豊かさがある

嵯峨谷の魅力を谷山さんに伺った。

「何が魅力と一言では言い表しにくいものがありますが。例えば、嵯峨谷地区にある住宅や畑の土台には石垣が整備されている。重機がない頃に、すごい時間をかけて手仕事で作ったもの。それはきっと『次の世代が少しでも豊かに、安心して暮らせる環境にしてあげよう』と作ったもので、これはすごく価値があることだと思うんです。

都会のコンクリートの環境は無機的で何も語らない。でも嵯峨谷には、植えたら何か成る土がある。そして何よりも大切な水がある。木がある。和歌山にはそういう本質的な豊かさがあって、それが魅力だと思う。僕は本能的にそう感じています」。

幼少期から高度経済成長期のまちなかで成長した谷山さんは、この嵯峨谷の豊かな自然をとても大切に思っている。

美しく色づいた山と、たくさん実った庭の柚子の木。

さらに、地域の方の人柄も気に入っている。

「移住する上で、人との交流はその土地に住んでみないと分からないけれど、ここの住民たちは親切ですごく良い人たち。

ここの人たちは土を愛している人たちだから、僕らが土を大切にしなければと考えた。なので土地を放ったらかしにせず、荒らさないことを意識しています。あとは、住民の方にはこちらから挨拶をするように心がけています。

年に2回住民みんなで地区の草刈りを徹底的に行っていて、とても大変な作業だけど、終わった後に集会所でみんなでお酒を飲んだり、コミュニケーションとったりするのが嬉しいし楽しいです」。

地域の方を尊重し、積極的に地域活動に参加する谷山さんを地域の方も温かく受け入れている。

自分にできることで地域に貢献する

「この地域の中でみんなはすべきことをしている。でも僕の場合は2拠点居住で、全てをできるわけじゃない。その代わり、僕らにしかできないことで地域に貢献したいと思っています。外からの視点だからできること、気づくこと、経験を活かしたことをすればいいんじゃないかな。同じことやれば半人前でも、別のことすれば一人前になるかもしれない。それでいい。自分に足らないことを気にするより、自分にこそできそうなこと、ええとこを出していけばいい」。

そう語る谷山さんは、自身の経験や人脈を活かし、嵯峨谷の活性化のために活動している。

もともと大阪で美術教師をしており、今は絵画教室を開催している谷山さん。縁あって大阪芸術大学デザイン科の教授と知り合い、教授が嵯峨谷の谷山さん宅に遊びに来た。

かねてから嵯峨谷は美術教育のフィールドに適していると感じていた谷山さんが教授に提案したところ、「ぜひやってみましょう」と話が進み、谷山さんが副会長を務める有志団体『嵯峨谷縁の会』と大阪芸術大学、それと橋本市と和歌山県の4者が連携し、『大阪芸術大学嵯峨谷キャンパス』をスタートさせた。キャンパスとして、谷山さん宅を学生たちの学びの場として開放している。

コロナ禍の中プロジェクトがスタートすることになり、苦労したことも多かったが、これまで延べ100人近くの学生が嵯峨谷を訪れ、地域の文化や人々の暮らしの様子を大学で学んだことを生かして記録したり発信したりしている。

谷山さんが嵯峨谷をおすすめして、気に入って移住してきたデザイナーの硲さんもプロジェクトに加わり、小冊子『谷風』を創刊した。

谷山さんたちが制作した冊子『谷風』。

「静かな暮らしをするつもりでここへ来たけど、いろんな活動に関わるようになって、それはそれでよかったかなと思っている」。

谷山さんが来たことで、嵯峨谷には新しい風が吹いている。